仲良い人の「言ってることは分かるけど」は困る

「言ってることは分かるけど」と思うことはよくある。
とある事象があって、仲の良い人が私見を述べたとする。

言ってることは真っ当だが、それに対するカウンターが行き過ぎていると思うことがある。そのカウンターに至るまでのプロセスも分かるし、当事者になるときっと同じことを思うのだろう。
でも当事者ではないので「行き過ぎ」と思ってしまう。

漫画『美味しんぼ』のなかで似たようなエピソードがあった。
関西の人が関東に転勤になったんだけど、食べ物が口に合わないから退職してやる!と激昂していて、山岡士郎がびっくり仰天するって場面があった。

これは行き過ぎですよね。食べ物が口に合わないのは分かる。
でもそれだけで退職しなくても、と思う。


よく知らない人なら「勝手にどうぞ」でいいんだけど、仲の良い人だとちょっと困りますね。
寄り添ってあげたいけれど、どうしたものかね。ちなみに『美味しんぼ』では確か、山岡士郎が関東にも美味しいものはあるんだぜ、と毎度同じく料理を食させて、丸く収まっていた。
美味しんぼの様式美なわけだが「退職したがっていた人は視野が広がったので考え方を改めた」のである。

仲良い人の「言ってることは分かるけど」は困る問題も、その人の視野の広さが一因になっていると思われる。でも料理のようにすぐに体験できるものばかりではないので、難しいものだよね。