zoom飲み会はもう飽きた

ウィルスによって社会変革が促されている。リモートワークとかソーシャルディスタンスとかあるけど、個人として何か変えようと思うことはあるか。僕は「発信」だなと思う。一ヶ月前は「今までの日常が戻ってほしい」と思っていました。飛沫が顔面に直撃するような三密空間でイベントや飲み会がしたかった。だが今は執着していない。

ステイホームや自粛が声高に謳われる昨今の東京には、寂しい思いを持つ人がたくさんいると思う。実際、オンライン系のイベントのお誘いをすると喜んでくれる人が多い。

去年の今頃と比較してコミュニケーション量がどれぐらい減っているか考えてみると(数値化する基準は度外視しているが)私は8割減だ。8割減の日常が影響を及ぼさないわけがなく、メンタル・フィジカルともに落ち込んでいるのだ。

寂しさを埋める手段として、zoom飲み会をやっていたが、私はもう飽きてきた。
ただ、zoom飲み会をやるごとに初参加の人がいて、その人は初めてだから楽しそうに見える。楽しそうな人がいるならそれでいいかなと思っていたけど、その人もやがて飽きてくる。全員飽きたら、今のやり方のzoom飲み会はオワコンである。(革新的に楽しくなるやり方が生まれればいいけど)

落合陽一氏がしきりに「デジタルヒューマン」と言っている。彼が「zoom飲み会やオンラインイベントがつまらないのは身体性がないからだ」という趣旨のことを言っているが、ようやく体感してきている。
とはいえすぐに「デジタルヒューマン」にはなれないし、一般的な行為に落とし込まれるのはもっと先だ。そしたら今できることは「発信」によるコミュニケーションにより生まれる何かに期待することしかないと思う。

2020年の発信行為は同時に記録行為でもある。webサイトやデバイスに発信履歴が残る。今この先が見えない時代に発信を続けていると何かが生まれるかもしれない。それが何かは知らないが、何もしないよりは良いはずだという、おぼろげな確信がある。
発信による足跡を記録して、その足跡を受け取ったり、眺めてくれる人たちとともに、欠損したコミュニケーションを埋めていきたい。

こうやって長々と書いたが、結局何が言いたいのだろうか。そんなまとめはもはや不要だと割り切っている。思いや考えはまとまってなくても発信していこう。そういうふうに考えているので、発信量を増やしていこうかなと思う。だから毎日日記は更新しようかな。