「この飛沫がいいんだよ」というクールな行為

二ヶ月ぶりに散髪をした。今までは電車移動で20分ほどかかる床屋に行っていたが、近所の床屋に行った。その床屋は換気と消毒とスタッフの体温検査、マスク着用、最小人数の体制、顔剃りはしない等の三密対策をしていた。

顔剃りをしてもらえないのは残念だが、マッサージをしてもらったり、雑談しながら散髪してもらえるのは楽しかった、というか気持ちが良かった。それは親しい人とのzoom飲み会よりも良い体験で、身体性を伴うコミュニケーションの強さを改めて実感した。

散髪してもらっている時はマスクをしていないので雑談したら、僕の飛沫が飛ぶなあと思ったけど、そこまで気にしないことにした。そう考えると今までどれだけの飛沫を浴びていたのだろうか。

少し前のテレビ番組では、雑談時やくしゃみをしたときをハイスピードカメラで撮影した映像をしょっちゅう流していた。コロナ前にも同じ映像は何度も見ていたが気にしていなかった。それは飛沫を浴びるようなコミュニケーションが楽しかったからだ。

未来を予想すると、(あまりこうなってほしくはないが)オンライン系のイベントは安価で体験できるようになっていくので、お金のない人はそれに参加する。逆にお金のある人は三密対策を十分に取られた少人数での"高価な"リアルイベントに参加することができる。きっとそこにはオンラインのオーディエンスがたくさんいる。

リアルが希少な体験になり、オンラインが日常的な行為になっていくとどうなるだろうか。例えば、すでに日常になってしまったものとして、音楽のストリーミングサービスがある。今まではCDを買ったり、それをMDに録音して楽しむ行為を経て、スマホに音楽をダウンロードして聞いていたが、今は月額制のストリーミングサービスで楽しんでいる。
そこであえて、音楽を聞くときにレコードプレイヤーを使ってみたり、カセットテープで聴くような行為は一周回ってクールに思う。「このノイズがいいんだよ〜」とか言ったりして。

つまりどういうことかというと、オンラインイベントは安価で日常的な行為になっていき、リアルイベントは高価で非日常なクールな行為になる。リアルイベントに出向く人は「この飛沫がいいんだよ〜」とか言ったりするのだろう。